国史跡武蔵府中熊野神社古墳

1.国史跡武蔵府中熊野神社古墳

武蔵府中熊野神社古墳は、上円下方墳という、大変珍しい形式の古墳です。
今から1,350年ほど前、7世紀中頃の飛鳥時代に造られました。府中市周辺では7世紀から8世紀にかけて、東国と畿内を結ぶ幹線道として東山道武蔵路が敷設され、武蔵国の行政を司る国府が置かれ、国内の安寧を願って国分寺が建立されます。これらの国家的事業との関連も、この古墳が注目されている理由です。
この古墳の石室の天井は崩落していましたが、玄室から大刀の一部と考えられる鞘尻金具が出土しています。これは七曜文という出土例の少ない文様が描かれた非常に貴重なものです。

古墳は、三段構造で各段とも盛り土で築かれています。上から見た形は、1段目と2段目が正方形で3段目が円形です。2段目と3段目は全面が河原石(かわらいし)で覆われています。側面を「葺石(ふきいし)」、上面を「貼石(はりいし)」と呼びます。1段目の外周には直方体に面取りされた切石(きりいし)による「縁石(ふちいし)」が並べられています。南面の切石は、石室前を占める前庭部(ぜんていぶ)の縁石に接続し2段目の側面に接合しています。2段目の側面は小口積みという積み方で、上面は扁平な河原石と丸い小石が平らに敷かれています。2段目の南面を切り込む形で石室の入り口がもうけられています。入口は切石で組み立てられています。3段目は葺石円環定に積まれ、その上は、扁平な河原石で覆われたドーム風となり、最上部は石が平坦に敷かれたと推定されます。
古墳は、中央の支配権力を目に見える形で表したもので、大きさや形に政治的意図が反映されると考えられ、設計法が研究されています。武蔵府中熊野神社古墳の墳丘にも規則的な設計が見いだされます。古墳全体の中心軸は真北よりも西へ7度かが向いており、磁北に近い方向を示しています。墳丘の1段目の一辺の長さ32mは、上円部の直径16mの2倍です。2段目の正方形の一辺の長さ23mは、上円部がすっぽり収まる正方形の対角線とほぼ同じ長さに造られています。これらは、1尺が約35cmの高麗尺と呼ばれる単位で設計されたものと考えられます。調査時に残存していた古墳の高さが約5mありました。そこで、復元の高さは、高麗尺での18尺に近い約6mとしています。

2.熊野神社

武蔵府中熊野神社 ご由緒の石碑

武蔵府中熊野神社 ご由緒の石碑
熊野神社は往古「熊野大権現」と称され旧本宿村の総鎮守であった。
その創建は江戸初期と伝えられ、当時境内に別当寺である弥勒寺が勧請されており、当地にも熊野信仰伝播の様が見られ、神仏習合の信仰形態が調っていた。
本殿は往時の儘現存し拝殿は天保9年(1838年)9月改築との棟札があり、拝殿内には江戸時代後期の漢詩人「江山翁大窪行」揮毫の「熊野大権現」と記した額が殿内にある。古墳裏正面には「天明八戌申歳九月吉祥日 当村氏子中願主 松本氏」と刻まれた鳥居があり、正北から境内を守護している。

3.情報発信

古墳の保存状態、保存会のキャラクターであるくまじい・おくまちゃんの活動についてもお知らせしています。
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